更新日:2025.1.24
| 参加プログラム | キュレーター招聘プログラム |
|---|---|
| 活動拠点 | ベルリン |
| 滞在都市/滞在先 | 東京 |
| 滞在期間 | 2025年1月 - 2025年3月 |
日本のナイトクラブに厳しい規則を課した1948年制定の風営法と、その弾圧的な性質の是正に向け精力的に活動し、2015年の法改正に至った「Let's DANCE」運動から出発し、日本のダンス文化における政治的な現実に打ち克つための想像力と抵抗運動の実践につながりを持ちたいと考えている。風営法は自著『Edit』にも、噂として、そしてパンデミックにおけるダンス文化の世界的な停止に関連して様々な憶測を呼んだ要素として取り上げている。同時に、純粋な存在と連帯、とらえどころのない知識、そして感情的なシンクロをよりどころにしたコミュニティの形を思い描くことへの、理論的な刺激にもなっている。ここから、踊ることを権利とするために努力した法律家から、東京のクラブシーンにつながりを持つミュージシャン・アーティスト他関係者に至る人々の様々な声と経験などを、話し言葉のままエッセイにまとめたいと考えている。そして彼らと、踊ることの倫理や政治性から生まれる新たな現実について、体系的危機と暴力の時代にこそ一緒に考えることができればと思う。ダンスがどんな物語を我々に伝えてくれるか? 我々はコミュニティづくりについてダンスフロアから何を学ぶことができるか? 感覚の政治的な規格化やエスカレートする暴力の時代においてこれら「感情豊かなユートピア」にどんな潜在的な影響力があるのか? ダンスの仕草を共有資源と考える際、人々の間で連帯を生むことができる動きの仕草とは何か?
私のリサーチの出発点は、風営法(1948年)であり、レッツダンス・ムーブメント(2015年)のおかげで以前ほど激しくなくなったとはいえ、風営法がいまだに
日本のダンスシーンにどのような影響を及ぼしているかということだった。当初はこの法律についてより深く学ぶことに重点を置いていたが、研究が
進むにつれ、エレクトロニック・ミュージック・シーンでの個人的な経験を主な方法論として用いることにした。
ダンスのロジックや、ジェスチャーがいかに有機的につながるかに触発された私は DJやアーティスト、ダンス仲間など、東京や京都のシーンのメンバーとの数多くの出会いに導かれるように、自分自身を導いていった。そのため、ダンスフロア、コンサート、ラジオ局、さらにはデモンストレーションにできる限り
足を運び、さまざな人たちと将来につながる個人的な関係を築いていった。また、インタビューも行い、そのうちのいくつかはポッドキャスト
として出版されたり、近々配信される予定だ。
インタビューの準備の様子
昼間のダンスフロアの様子
東京での抗議レイブの様子
ダンスフロアリサーチャーたちとの交流の様子
東京のエレクトロニック・シーンに没入することは、ヨーロッパの都市のダンスフロアの中で、長い間探していたものや見逃していた状況を発見することを
意味した。自然体で構えずに、しかし好奇心旺盛に東京に到着すると、ミュージシャン、ダンサー、DJたちのとても協力的なコミュニティをは発見した。また、
オーガナイザー、DJ、ダンサーの役割が融合した、極めて質の高い音楽のクオリティとダンスフロアを体験した。一部の理論家がクラブでの体験から連想する
「ユートピアの感覚」を、私自身も体験したことによりこれまで何年も取り組んできた認識や理論の刷新迫られ、まだ整理している段階である。何年もの間、社交の場としての音よりも音楽の方に、興味があったが、レジデンスの滞在中に、考えるカテゴリーとしての音に対する関心が再び高まった。同様に、多くのDJセッションを聴いたおかげで、20年以上前にエレクトロニック・ミュージックの世界に足を踏み入れた当初とよく似た音楽との関わり方が呼び覚まされた。それに加えて、私と一緒に「音楽やダンスから考えたい」と惜しみなく言ってくれた数多くの人たちと、公式・非公式に関わらず会話を交わす機会もあった。TOKASでの滞在によって
リサーチができただけでなく、ある期間シーンの一部になることもできた。風営法がメインビートのようなものだとすれば、東京での滞在は、かつての
願望やこれまでのプロジェクトでも起きたように、つながる新たなキュラトリアルな視点を呼び起こし、私のリサーチをよりポリリズム的なものにした。
不規則なジェスチャーや動きによって結ばれた将来のコラボレーションこれらすべては、東京と日本という背景におけるアートとクラブの交差点について
私の理解を広げてくれた、TOKASチームの好奇心旺盛で協力的な精神のおかげでもある。
TOKASでのトークの様子
渋谷のクラブ「Contact」の跡地の様子
東京周辺のステッカーの様子