鈴木ヒラク

レジデンス・プログラム

二国間交流事業プログラム(派遣)

更新日:2019.11.21


鈴木ヒラク

参加プログラム 二国間交流事業プログラム(派遣)
活動拠点日本
滞在都市ロンドン
滞在期間
2011年5月 - 2011年8月
滞在中の活動

[滞在報告]
■リサーチ及び制作活動について 制作に関しては、まず画材屋を見つけるところ、また紙一枚、鉛筆一本を買うところから始め、朝10時から夕方17時までチェルシーの鋳造所で立体制作を行い、その後レジデンスで深夜までドローイング、次の朝まで論文の執筆や事務作業に明け暮れるという毎日であった。その中で、時間を作っては友人のアトリエや展覧会を訪れたり、アート関係者や研究者など様々な人々との交流、TATEや大英博物館のドローイングルームなどでのリサーチも行った。過去最大規模の展示を完成させ、オープニングの日にはライブドローイングを行った。また滞在の最終日に、デレク・ジャーマンの庭に日帰りで見学旅行をした。

■成果、反省点、今後の活動への影響 成果(制作/交流) 制作に関しては上記参照。交流としてはチェルシーやウィンブルドンの教授陣・先生・学生達との交流や、考古学者達、Japan Societyや大使館の人々との交流、Centre For Drawingの会員になったこと、2013年にDAIWA Foundationでの個展が決まったこと、など。 反省点 6月は卒業制作展のシーズンで大学関係者は大変忙しく、また7月中旬〜8月には多くのアート関係者がロンドンを離れてしまう時期ではあったし、その中で連絡を取り合って進めていくことの難しさはあったと思う。特に広報に関してはほぼ自力で進めるしかなかった。 今後の活動への影響 体験として、あらゆる意味でこれまでの活動を総括し、次へつなげていく大きなきっかけとなることは間違いないと思う。

■滞在中もっとも印象に残ったエピソード ひとつに絞るのは難しいが、ふたつあげるなら、「文章」と「立体」である。 まずロンドンでは英語で文章を書くことを求められることが重なった。個人的に取材を受けたベルリンの雑誌「Lodown Magazine」のロングインタビューに始まり、展覧会のプレスリリースについてもある程度は自分で書いた。特に、ロンドン芸術大学学長のクリス・ウェインライト氏に依頼され、ロンドン芸大が年刊で出版している「Bright 6」という、学院の入学案内を兼ねた資料集のようなものに掲載される文章「Drawing as signals」を書いたことは大きな経験だった。これまではこういった時には日本語で書いた文章を英訳していたわけだが、この自分のざっくりした英語で、個人的な制作や、個展のこと、またいまの日本のことや世界状況にも触れつつ、ドローイングに関する普遍的な考えをまとめることは大変だったが有意義であった。日本語だと堂々巡りしてしまいそうなことも、英語だからこそ言い切れた部分もあったと思えたし、思考がクリアーになった。 また、初の立体作品制作を通して、鋳造職人のJohnやRichardと知り合ったこと、これまでの平面での試行を立体に具現化できたことはとても大きいプロセスであった。

■リサーチや滞在制作を通して、「滞在国」や「派遣都市」に対する意識の変化や新しい視点について ロンドンに訪れたのは9年ぶりであったが、素晴らしい環境を与えていただき、それらを最大限に活かすことによって、これまでのキャリアの中で最も集中して制作を進められた3ヶ月間であったと思う。結果としての最大規模の個展や、ライブドローイングへの反響も大きく、次回のロンドンでの個展も決まり、自らの活動の可能性を前進させたと思う。今回、ロンドンという都市が、私のような根本的なところからアートの成り立ちを考えざるを得ないアーティストにとって、様々な面で大変いい環境であることを改めて知った。制作する環境としての利点だけではなく、多くの興味深いアートや学問の試みが常に行われており、それらの積み重ねが、歴史、あるいは文化として非常に強く守られている場所、という印象を持った。 現在は様々な意味で、地球上の各都市のどこに行ってももはや同じような、ある種の新たな普遍的状況の中にある。危機的な状況とも言えるが、同時に可能性も存在していることを忘れてはいけない。私を含めたアーティスト達は、制作の中で想像力を培い、世界の細部に対してヴィヴィッドな問題意識を持つことができる。だからこそ今後も移動し続け、思考を続け、対話を続けていかなければならないと思う。




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