ニーン=文子・山本・マッソン

レジデンス・プログラム

リサーチ・レジデンス・プログラム

更新日:2023.5.18

ニーン=文子・山本・マッソン

参加プログラムリサーチ・レジデンス・プログラム
活動拠点ベルリン
滞在都市東京
滞在期間2023年5月 - 7月
滞在目的

山本・マッソンのリサーチ・プロジェクトは、戦後日本の社会的変遷、東京の近代化、アメリカ占領下に残されたハーフの子供たちの存在(しばしば追放され孤児院で育つ)を映し出す1950年代から60年代の朝倉摂の絵画における現代的な反響を探る。朝倉の美しい肖像画の習作や見事な大作もまた変化する日本を体現していることを理解している。朝倉は自身の芸術をとおして、東京の変容と多様性の歴史を評価する証人であり、社会の解説者であった。また、70年代から80年代にかけての朝倉のアンダーグラウンドな実験的前衛映画の仕事にも焦点を当てる予定である。この研究プロセスを自身の作品を通して記録していく。

滞在プラン
  • 典型的な(学術的、アーカイブ的、新聞雑誌的)方法と、実験的な芸術的方法によるリサーチを行う。
  • 朝倉摂の家族(芸術家だった)や初期の作品について、写真や動画撮影、ロケ地のドローイングを行いながら、1950年代から60年代のハーフの子どもたちの状況や、1964年にオリンピックを控えた東京の近代化についてリサーチを行う。
  • 日本人の親を持つ多人種の人々(私や朝倉摂が描いた子供たちのように)が、過去、現在、そして未来の日本における多様性をどのように考えているのか、様々な世代の人々にインタビューし、交流する。
  • また、朝倉の前衛映画や演劇の仕事について、映画資料館でアーカイブ調査を行う。
  • 朝倉の絵画・映像作品とそのテーマに触発され、反応するリサーチ・プロジェクトの一環として、作品(ドローイング、絵画、インスタレーション、ビデオ)制作および執筆を展開する。
滞在中に行ったリサーチ及び制作活動

まず自身のリサーチ・プロジェクトの出発点である、朝倉摂の絵画作品が生まれた文脈を感じ取るため、台東区谷中にある彼女の生家を訪ね、1950年代のルポルタージュ絵画の作家についてリサーチを行い、社会的事件を記録した朝倉の絵画に対する大衆の反応や議論について、自身が立てた仮説のブラッシュアップを試みた。
次にいわゆる「混血児」やその親を取り上げた、1950~70年代の作家、あるいはマスメディアや映画における表象についてリサーチし、日本語、英語、フランス語やドイツ語で書かれた、既存の学術論文を入手することに努めた。
また、反人種差別の活動家や学者、そして日本以外にも複数のルーツを持つコミュニティのメンバーと話し合った。彼らはこうしたテーマについて触れる機会が少なく、あっても学術的すぎて馴染みがない、あるいは差別的慣習がもたらした有害なものしかないとの意見が聞かれた。私はこのテーマに関連する数多くの学術論文や書籍を読み、学者たちと活発に議論を交わした。こうしたプロセスを、学者でアーティストであると同時に、当事者でもある私自身の立場から記録した。
コミュニティを基盤とするこのアート・リサーチのプロセスにおいて、自らの経験をより広い文化的、政治的、社会的な意味や理解へと結びつけるため、既存の研究や芸術表現にハイライトを当て、自身の作品やリサーチの照準がずれないよう確認し、人々の参与を促す方法を常に考察していた。
朝倉の絵画作品が生まれた文脈を検証し、当時彼女が所属していたコミュニティや描かれたテーマにまつわる場所を訪れ、フィールドリサーチを行った。過程を記録した写真、ビデオ、音声、スケッチ、インタビューなどを整理し、それらに基づいた作品制作や執筆に励んでいた。まだまだ訪問したい場所やインタビューしたい人々がたくさんある/いるため、次の機会に取り組みたいと考えている。
オープン・スタジオでは、舞台芸術家としても活躍した朝倉のキャリアになぞらえて、リサーチの過程で生まれた大量のスケッチからほんの一部を絵画に仕上げて、記録した写真や映像などを用いて、マルチメディアで構成した舞台美術を発表した。

滞在の成果

この複雑なテーマに対して、文献と現地調査、インタビューなどで広範的な基礎研究に2ヶ月半を費やした。時間が限られた中、同時進行でいくつか研究を進めざるを得なかったが、そのおかげで、予想外の関連性にたどり着くができ、その後のドローイングやインスタレーションなどの作品群に発展させることができ、リサーチの手法が洗練され、焦点を絞ることができた。
レジデンス期間中、このプロジェクトに関心を持つ学者、アーティスト、研究者、作家など多くの人々と出会うことができた。私の研究テーマはとてもセンシティブであり、そのトピックの重要性、それが指し示す社会的問題、歴史的文脈に位置付けることの重要性を認識し、自身の研究を惜しみなく共有してくださった2人の研究者、田村泰治さんと西村健さんに心から感謝している。またオープン・スタジオでも温かい言葉いただいて、プロジェクト継続の励みとなった。今後は専門家へのインタビュー、ロケ地や資料館などの訪問をとおして、エッセイ映画の制作を目標としている。
また、一番印象に残っているのは、このプロジェクトをとおして、私自身の家族の歴史との結びつきや、家族について新たな発見ができたこと。それはアーティストとして、一個人としてとても重要で、それが理にかなって、このプロジェクトを進めるにあたって、さらに確かな根拠、文脈、動機を与えてくれた。

《Half of Truth》スチール写真、2023年
©Nine Fumi Yamamoto-Masson

オープン・スタジオ2023-2024/7月
撮影:前谷開

オープン・スタジオ2023-2024/7月
撮影:前谷開

オープン・スタジオ2023-2024/7月
撮影:前谷開

オープン・スタジオ2023-2024/7月
撮影:前谷開

オープン・スタジオ2023-2024/7月
撮影:前谷開

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