タイトル | 若手のための現代音楽企画ゼミ2016
<公開プレゼンテーション発表・講師による講評> |
---|---|
会 期 | 2017年1月19日(木) - 2017年1月19日(木) |
時 間 | 14:00 - 18:00 |
入場料 | 無料(事前予約制) |
主 催 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーワンダーサイト |
協 力 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場、東京文化会館 |
会 場 | 東京芸術劇場リハーサルルームL |
「若手のための現代音楽企画ゼミ2016」は、現代音楽を扱う企画を発表する意欲のある若手音楽家を対象に、より多くの人に鑑賞してもらうための企画力や発信力の向上を目的とする育成プログラムです。受講生は多彩な講師陣から知識や技術を学び、企画を実現するために必要な「音楽を伝える言葉」を自ら考え、ワークショップとコンサートが連動した企画を考案します。そして、ゼミの集大成として、4名の講師を迎えた審査会形式で行われる公開プレゼンテーションで発表しました。
◆発表者
ゼミ受講生(35 歳以下の作曲家及び演奏家)8 名
◆公開プレゼンテーション講師(敬称略)
楠瀬寿賀子(公益財団法人せたがや文化財団音楽事業部)
中川賢一 (ピアニスト、指揮者)
沼野雄司 (音楽学者、桐朋学園大学教授)
梶 奈生子 (東京文化会館事業企画課長)
ゼミの詳細はこちら
*企画名をクリックすると企画概要(PDF)をご覧いただけます
1. 野口桃江(作曲)
「楽譜ノ美学」
2. 渡辺卓哉(作曲/サウンドデザイン)
「(dis)CONNECT」
3. 深川智美(打楽器)
「Precis Nu! スウェーデン現代音楽の『今』を体感する。」
4. 村田恵子(マリンバ)
「音の旅~マリンバ編~」
5. 岩崎愛子(打楽器)
「Surround Experiments -Timber- 」
6. 高橋渓太郎(作曲)
「作曲を聴く - 音以上作品未満から-」
7. 山田祐将(打楽器)
「現代吹奏楽作品を指揮するとは?」
8. 桑原香矢(ヴァイオリン/ヴィオラ)
「ヴァイオリンがちょっと気になる人のための現代音楽入門編」
今回は、企画書の作成とプレゼン実施のゼミであり、プレゼンが公開されたことは受講者にとって重要な機会になったと思う。 そのプレゼンについて感じたこととして、内容の解説に近いものが多く、実演でポイントを明らかにしたものが少なかったことが挙げられる。10分という短時間に実演を入れて伝えたいことを十分に盛り込めるか、と迷うところであるし、単に演奏を聴かせるだけでは企画のプレゼンとしては不充分だ。しかし、テーマとなる作品の一部を実演することで、内容を端的にあらわす可能性はある。その意味でもまだまだ工夫の余地は多いと感じた。
このことは、そもそもワークショップにレクチャーやマスタークラスに位置づけられる案が多かったことも影響しているだろう。現代音楽という題材を考えると、知識や技術を超えた、より深い内的・外的体験をともなった内容に期待したい。また、自身の楽器や現代音楽のことだけを見るのではなく、歴史や地域などの時間や空間、音楽以外の要素など幅広い視点をもって考えていくと、むしろ現代性が浮き彫りになるということもあるのではないだろうか。
ゼミの前提となっている"公共ホールの事業担当"という、採択を預かる立場になって考えてみた。企画書やプレゼンから得られる情報もさることながら、企画をどのように具体化するか、演奏家・作曲家とともに創り上げる過程をどれだけ楽しめるか、という比重もかなり大きい。そういった企画書やプレゼンの余白や、演奏家・作曲家の柔軟性も見ている。
企画の受け手も発見や刺激を受けながらともに創造していく"遊び"の部分を意識することも、企画の幅を広げることになるのではないかと思う。昨年度の講評に"演奏家自らにとってのワークショップ体験"について書いたが、これは事業担当者も同じ体験をしているのだとあらためて意識した。
現代音楽が好意的に、また積極的に聴いていただけるのであればまだしも、「春の祭典」から100年以上経つにもかかわらず、現代音楽というものの定義すらはっきりしていない。しかしながら毎日ように作品は産み出されている。それを多くの方に聴いていただくことが容易ではない現状を鑑みると、演奏会やワークショップなどを企画する側に受け入れてもらえるか、がすべての始まりとなる。そこで企画書、または対面での口頭のプレゼンテーションで言葉が必然となる。音楽という「言葉にならないもの」でもあるものを、特に「ゲンダイオンガク」という恐怖さえ感じられる音楽の企画をプレゼンテーションするのは困難を極めるが、それを乗り越えない限り、現代音楽の企画の広まり方は消極的になっていくと思われる。それに関して本プログラムに参加した若い世代が、この課題に対して前向きにかつ、果敢に対峙していったことに意義を感じるとともに、ほのかな未来への光を感じた。
ゼミでの企画書やプレゼンでは、専門用語の濫用などの見直しを発端に、自分の世界でしか完結していない企画が、もともとのアイディアを曲げずに、他人に伝わりやすい言葉で伝えるように変化していったのが手に取るように分かったのが講師としても嬉しいことであった。
今回のことは企画のプレゼンだけではなく、現代音楽をどのように社会に対してプレゼンしていくかという日々の姿勢、ないし、音楽家としての自分を世界に対してプレゼンしていくことへの重要な思考の助けになっていれば非常に幸いである。受講生にはこれからも今回のゼミで得たものを毎日の活動に活かしてもらえることを切に願う。
大勢の人の前で、自分の企画を発表するというのは、想像以上に面倒なことだ。当然ながら、最初は企画の内容もプレゼンの手法も未熟だろうから思わぬ恥をかくかもしれないし、なんだかわざとらしい演技をしているみたいで、照れくさいではないか。しかし、この企画に参加したメンバーは、そんなことはものともせず、しっかりと恥をかき、そしてしっかりと演技をした。つまり、きっちりと最後までやり遂げた。何よりもこの点を、僕は心から尊敬している。
そして、いろいろと意地悪な指摘はしたけれども、どの企画も、どのプレゼンも、正直にいえば「たいしたものだ」と思いながら見ていた。まだ30歳前後だった頃の自分だったら、きっと途中で嫌になって投げ出してしまった気がする。少々大げさながらも、僕はこの企画に参加したメンバーを見ていて、日本の将来に対して、かなり明るい気分になった。
ただしその一方で――ものすごく勝手な意見であることは承知しているのだが――この企画の中で、僕自身が強く揺り動かされたり、とてつもなく新しい知識を吹き込まれたりすることは、残念ながらなかった。つまり、若者のプレゼンテーションとしては満点の感動があったけれども、同じ土壌に立つ大人としてみれば食い足りなかったということだ。ぜひ、この言葉を挑発ととらえて、次に会う時にはもっと多くの驚きを与えてほしい。
2回に亘り「若手のための現代音楽企画ゼミ」を公立文化施設に携わる"現代音楽から遠い立場"として関わらせてもらった。そもそも音楽家は言葉より音楽で表現することを目指している人々なのではあるが、最初の企画書は一様に何度か読まなければ理解できなかった。そして、自らが職業とする、もしくは職業人として目指す「現代音楽」を"悲観的"とも受け取れるように捉えていることがほとんであることに少なからずショックを受けた。若者が無謀とも思える希望に満ちた夢を描いている時代は終わっているのかもしれない、と思いつつ。
様々な講師陣の指導により、一読すればその世界をイメージさせるように言葉の表現力は磨かれ、更に一歩踏み出したプレゼンではそれぞれの個性が光る、味わいのある企画が提案された。
企画の意図と並ぶほど効果があったのは、若手音楽家の交流の場の創出に繋がったこと、そして、やはり若手音楽家らしく、熱い思いを持ち、互いに情報を共有し、仲間となって夢に向かって新たに歩み始めている姿を見ることができたこと。きっと驚くような企画が生まれるに違いない
私にとっては「現代音楽」とは何か、改めて考えるきっかけとなった。アウトリーチに組み込んだ現代音楽を大人の認識を超越した柔軟なさで真剣に耳を傾ける幼い子供達の姿を思い浮かべながら。次代を担う若者が元気に発信していけば、容易く受け入れる次の世代は確実にいるのだから、どのような場を創出していくかは、私たち、頭の固い大人に突き付けられた課題なのかもしれない。